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【江戸時代】185 松平定信と寛政の改革【日本史】 — Transcript

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  1. 0:01はいどうもみなさんこんにちは 今回は松平定信と寛政の改革について
  2. 0:06お話ししていきます 江戸の三代改革第二弾ですね
  3. 0:11今回の動画構成としては まず最初に松平定信とはどのような
  4. 0:16人物か という話をした後に
  5. 0:18松平定信が行った寛政の改革を 国内と国外の視点で見ていきます
  6. 0:24そして最後に松平定信が解任された 時の話をする
  7. 0:28という流れです それではまず
  8. 0:31松平定信とはどのような人物か という話から始めていきましょう
  9. 0:351716年 紀州藩出身の徳川吉宗が将軍となり
  10. 0:46ました こうして徳川吉宗による享保の
  11. 0:49改革が行われたのですが 吉宗の息子である家重と
  12. 0:53その息子である家治の時代には 田沼意次が政治の実権を握る
  13. 0:59田沼時代が展開されたのです
  14. 1:03順当にいけば次の将軍は 徳川家治の子どもである家基ですが
  15. 1:09家基が急死してしまったことにより 後継者問題が発生します
  16. 1:14このような時のために作られて いたのが御三卿です
  17. 1:18御三卿といえば 一橋田安清水の3つの家です
  18. 1:23一橋家と田安家は 吉宗の息子が初代ですが
  19. 1:27清水家は家重の息子が初代なので 田安家と一橋家は同格
  20. 1:33清水家は格下 という格付けがあります
  21. 1:36このような格付けだったので 田安家と一橋家の間には競争意識
  22. 1:41があり 両者の間で将軍の後継者争いが
  23. 1:45行われました この時の将軍候補は
  24. 1:48田安家の定信か 一橋家の豊千代か
  25. 1:52といった状況で 定信は吉宗の孫
  26. 1:56豊千代は吉宗のひ孫にあたります ので
  27. 1:59血筋としては定信の方が吉宗に 近かったのです
  28. 2:03特に定信は子供の頃から学問文学 芸能に通じており
  29. 2:09並外れた才能を見せていたそう で
  30. 2:11将軍として申し分のない人物でした しかし
  31. 2:15ここで動いたのが一橋治済です
  32. 2:18さてこの時代の黒幕的人物として 知られる
  33. 2:22一橋治済ですが 彼は裏で暗躍し
  34. 2:25田安家の追い落としを始めたと 言われています
  35. 2:29一橋治済は人脈を駆使して定信 を白河藩に養子として出させ
  36. 2:35息子である 当時15歳の豊千代を将軍後継者
  37. 2:39としたのです この豊千代こそが後の徳川家斉
  38. 2:44です
  39. 2:45さて将軍後継者は徳川家斉と決まり ましたが
  40. 2:49白河藩に出された田安定信がどうなった かを見ていきましょう
  41. 2:53お気づきの方も多いとは思います が
  42. 2:55この田安定信こそが今回の動画 の主人公
  43. 2:59松平定信です 白河藩に出された松平定信は
  44. 3:04後に藩主となるのですが その際に江戸時代最大の飢饉と
  45. 3:09言われる 天明の飢饉を経験します
  46. 3:12この際の定信の対応が素晴らし かったらしく
  47. 3:15仙台藩では40万 津軽藩では30万の餓死者を出した
  48. 3:20天明の飢饉を 白河領では餓死者0人で乗り切った
  49. 3:25と言われる程でした
  50. 3:27こうして松平定信の藩政は評判 になり
  51. 3:30沢山の藩主が松平定信を訪ねてき て
  52. 3:33藩政についてアドバイスをもらう ようになりました
  53. 3:36そのように政治について語り合う 中で
  54. 3:40当時幕府の政治を主導していた 田沼意次を批判する
  55. 3:44反田沼派の結束を深めていった のです
  56. 3:48その後田沼意次は辞任に追い込 まれ
  57. 3:50御三家は松平定信を老中に推薦 しますが
  58. 3:54田沼意次派だった旧勢力が あらゆる手段で拒否したため
  59. 3:59次期政権の担当者はなかなか決定 しませんでした
  60. 4:03こうして 旧勢力と新勢力で
  61. 4:06政治的に対立をする時代が続いた のです
  62. 4:09この政治的空白によって社会は 混乱
  63. 4:12物価は上昇し 日本全国で打ちこわしが発生した
  64. 4:16のです
  65. 4:18もちろん打ちこわしは江戸でも 発生しており
  66. 4:20江戸は数日間秩序の無い状態に 陥りました
  67. 4:24ここで出てきたのが一橋治済です 将軍家斉の実の父である一橋治
  68. 4:31済は 早くから家斉の治世を安定させ
  69. 4:34たいと考えていました 治済は打ちこわしに対応できなかった
  70. 4:39として 旧勢力である田沼派を排除
  71. 4:42やっぱりこれまでの側用人政治 はダメだ
  72. 4:45そう考えていた徳川一門は 側用人政治をやめて徳川一門による
  73. 4:50政治を行っていこう と考えたのです
  74. 4:53こうして徳川一門からの期待を 背負った松平定信が
  75. 4:57老中首座に就任します こうして始まった
  76. 5:00徳川一門が支える改革が 寛政の改革です
  77. 5:06さてこうして始まった寛政の改革 ですが
  78. 5:09松平定信は今まで田沼が行ってきた 政治
  79. 5:13つまり側用人政治や利益追求の 政治を否定して
  80. 5:18伝統的な政治に戻していきます お手本とするのは祖父にあたる
  81. 5:22徳川吉宗 彼が行った享保の改革です
  82. 5:27しかし先ほども言った通り松平定 信の勢力基盤は
  83. 5:31バックに控えている徳川一門です 重要な政策を決めるときは
  84. 5:35松平定信幕府の人たち徳川一門 の3つの合意の上で
  85. 5:41将軍の名の下に政策を実行して いきました
  86. 5:45特に松平定信の中には 打ちこわしによって江戸が無政府
  87. 5:49状態になった時の 強烈な印象が焼き付いていました
  88. 5:53なので寛政の改革では その再発防止を目指したのです
  89. 5:58こうして行われた政策が 貧民救済
  90. 6:00棄捐令 寛政異学の禁
  91. 6:04蝦夷地開発 といった政策です
  92. 6:07順番に見ていきましょう
  93. 6:09さて一番最初にお話しする 貧民救済についてですが
  94. 6:13調べてみると打ちこわしに参加 した人々の多くは
  95. 6:17貧しい人たちだったということ がわかりました
  96. 6:20貧しいと幕府に対して不満を持ち 米も買えないので打ちこわしに
  97. 6:25参加する という流れです
  98. 6:27ということは極論を言えば 貧民がいなければ打ちこわしは
  99. 6:31発生しない ということになります
  100. 6:34しかし今の江戸には 農村から出稼ぎに来ている農民
  101. 6:38や 各地から流れ込んできた浮浪者
  102. 6:41がたくさんいました 松平定信はこのような貧民を助ける
  103. 6:45ために 石川島人足寄場というものを作り
  104. 6:49貧民の職業訓練を行なったり 七分積金令を出して
  105. 6:54非常事態に備えたり 江戸へ流入してきた人たちに対して
  106. 6:58経費給付を行って村へ帰るのを 促したりしました
  107. 7:03この発想は画期的で これまでは年貢を奪われるだけ
  108. 7:06だった民衆が 税の対価として行政サービスを
  109. 7:10受けられるようになった という大きな変化がありました
  110. 7:14次にお話しするのは棄捐令について です
  111. 7:18この時代の他の政権担当者がそう だったように
  112. 7:21松平定信も経済の力と戦っており 米と物の価格が高騰するのを抑
  113. 7:27えようとしています 幸いにも大きな飢饉などがなかったため
  114. 7:31米価は順調に下がっていきました しかし下がったのは米価だけで
  115. 7:36すでに市場価格が成立してしまった 物価は下がらなかったのです
  116. 7:41こうなると米で給料をもらう旗 本や
  117. 7:44御家人といった武士たちは困ります 給料の価値が下がっていて物が
  118. 7:49買えないからです そんな旗本御家人は生活が苦しくて
  119. 7:54借金まみれ こうして旗本御家人の窮乏を救
  120. 7:58うために幕府が出したのが 棄捐令でした
  121. 8:00棄捐令は短くまとめると 札差に対する借金を帳消しにさせ
  122. 8:06た法令 と言えます
  123. 8:08札差というのは江戸の豪商のこと で
  124. 8:11旗本御家人の給料である米を お金に換えていたのが札差です
  125. 8:17旗本御家人たちはお金が足りなかった から
  126. 8:20札差から借金をしていたんですね その借金が帳消しになったのです
  127. 8:25また寛政の改革は 学問の分野にも影響を与えています
  128. 8:30寛政異学の禁についてです 松平定信自身が学者だったため
  129. 8:36その影響を受けてのことでした 湯島聖堂は幕府直轄となり
  130. 8:41昌平坂学問所と名前を変え 幕府で働けるような人材を育成
  131. 8:46していきました そこで幕府は
  132. 8:48朱子学だけを講義研究せよ 他の学問を教えてはいけない
  133. 8:54という命令を出したのです 幕府としては
  134. 8:57幕府の学校にのみ適応される命令 のつもりだったのですが
  135. 9:01全国の藩校がこれに倣って 朱子学以外の学問を禁止していきました
  136. 9:06よって全国的に朱子学が勢力を 取り戻したのです
  137. 9:11さて最後にお話しするのが 蝦夷地開発についてです
  138. 9:14前回の動画で ロシアの南下をきっかけとして
  139. 9:18田沼意次が蝦夷地開発計画を立て た
  140. 9:21という話をしましたね その後田沼意次が失脚したこと
  141. 9:25により この計画は中止されました
  142. 9:27蝦夷地を不毛に留めておけばロシア は興味を失うだろう
  143. 9:32そうすれば蝦夷地はロシアとの 緩衝地帯として機能する
  144. 9:36と考えたのです こうして蝦夷地支配は従来通り
  145. 9:39松前藩に任せ開発もしない という政策に転換
  146. 9:44そんな時に林子平という人物が 防御を固めるべきと主張しました
  147. 9:50が 民衆の不安を煽ったとして処罰
  148. 9:53されました しかし皮肉なことにその数ヶ月
  149. 9:57後 実際にロシア人が蝦夷地にやってくる
  150. 10:00のです ラクスマンです
  151. 10:02ラクスマンというのは誰かという と
  152. 10:04ロシアの軍人です この頃ロシアには
  153. 10:07日本人の大黒屋光太夫という船 乗りがいました
  154. 10:12彼は江戸へ向かう途中に船が難 破してしまい
  155. 10:15そのままロシアに漂流していた のです
  156. 10:18なのでラクスマンは 漂流した日本人を日本に送り返す
  157. 10:23という目的で根室へと到着した のでした
  158. 10:26といってもそれは表向きの理由 本当の理由は
  159. 10:30日本と貿易を行いたい そのために江戸へ向かい交渉したい
  160. 10:35と思っていたのです これに松平定信はどう対応した
  161. 10:39かと言うと 漂流者を送り返してくれたこと
  162. 10:42には礼を言う しかし江戸に来てはいけない
  163. 10:45貿易がしたいなら長崎へ行って くれ
  164. 10:48と伝えています こうしてラクスマンは
  165. 10:51ロシアへと帰国して行ったのでした
  166. 10:54さてこのような改革をおこなって いた松平定信ですが
  167. 10:58突然老中を解任されてしまいます その理由は詳しくはわかっていません
  168. 11:02が 一説によると
  169. 11:04尊号一件 という騒動が関わっているようです
  170. 11:08どのような騒動かと言うと この時の天皇は光格天皇
  171. 11:12光格天皇のお父さんは閑院宮典 仁親王というお方です
  172. 11:17この典仁親王は 天皇をした経験がないのですが
  173. 11:22光格天皇は自分の父親を上皇つまり 前天皇の扱いにしてあげたいと思
  174. 11:28っていて 幕府にそのようにしたいのです
  175. 11:31がいいですかと聞いていました これに対して松平定信は
  176. 11:36前例がないと言ってこれを拒否 しかしその要求は収まらず
  177. 11:41貴族たちによって上皇にしてあげ ようという動きが強まりました
  178. 11:46すると定信はそのような公家たち を処罰したのです
  179. 11:50ここまでなら問題なさそうですが この後に問題になったのが
  180. 11:53当時の将軍である徳川家斉も 自分の父親を大御所つまり前将軍
  181. 12:00の扱いにしてあげたいと思って いたことです
  182. 12:03徳川家斉の父親は一橋治済 将軍を経験したことがない人でした
  183. 12:10松平定信は 天皇に対して前例がないと断った
  184. 12:14のなら 将軍に対しても同じように断らない
  185. 12:18といけません こうして松平定信は
  186. 12:21一橋治済や徳川家斉との間がうまくい かなくなったことによって
  187. 12:266年ほどで失脚してしまったのでした
  188. 12:33さていかがだったでしょうか こうして一橋治済によって
  189. 12:37松平定信が解任されたことにより 寛政の改革は終わりました
  190. 12:42またそのような流れで松平定信 が失脚したので
  191. 12:46徳川一門の中でも一橋家の力が 強まります
  192. 12:50こうして一橋治済とその息子である 将軍家斉の力が強まったのです
  193. 12:56ということで次の動画では 大御所時代についてお話しして
  194. 12:59いきます それではまた次の動画で

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