【室町時代】131 忙しい人のための応仁の乱【日本史】 — Transcript
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- 0:00汝ヤシル 都ハ野辺ノ
- 0:02夕雲雀 アカルヲ見テモ
- 0:05落ルナミタハ
- 0:071467年
- 0:09畠山氏内部の争いから始まった応仁の乱は
- 0:13京都の町を焼き払い 約11年間にわたり続きました
- 0:18戦国時代の始まりを告げるこの戦乱は
- 0:21どのような戦いだったのでしょう
- 0:27はいどうもみなさんこんにちは
- 0:29今回は応仁の乱についてお話ししていきます
- 0:32応仁の乱が起きた当時
- 0:34日本を統治していたのは室町幕府でした
- 0:37その室町幕府が東西の2つに分裂し
- 0:41西軍を山名宗全 東軍を細川勝元が率いて
- 0:46争いとなります しかし二人が対立するまでには
- 0:49複雑な事情が入り組んでおり 多くの人々の思惑が重なって
- 0:53戦いへと向かっていくのです 今回の動画では
- 0:57戦国時代の幕開けとも言われる 応仁の乱は
- 1:00どのようにして起きたのかを見て いきましょう
- 1:06時は室町時代 この頃京都では足利氏により政治が行われていました
- 1:12当時の将軍は足利義政
- 1:15銀閣寺を創立したことで有名な人物です
- 1:18この頃の室町幕府では将軍の力が弱まっており
- 1:22実際に力を持っているのは義政ではなく
- 1:26室町幕府に仕えている守護大名でした
- 1:29特に細川氏斯波氏畠山氏は 将軍の補佐役として力を持っており
- 1:35京極氏山名氏赤松氏一色氏は
- 1:39武士たちのまとめ役として力を持っていました
- 1:43応仁の乱勃発の鍵を握っているのは
- 1:45斯波氏と畠山氏です これら2つの一族が分裂し
- 1:50一族内で誰が当主になるのかを争いました
- 1:54この争いが拡大していき 応仁の乱が起きたのです
- 1:58では斯波氏と畠山氏がどのような 状況だったのかを確認していきましょう
- 2:03まずは斯波氏の状況についてです
- 2:06この頃斯波氏では
- 2:07当主の斯波義敏と家臣の甲斐常治の間で 争いが起きていました
- 2:13将軍の義政としては
- 2:15仲間割れしている場合じゃない と思っていたので
- 2:19二人の戦いを仲裁しますが 斯波義敏がそれを無視して戦いを続けたので
- 2:24斯波義敏の自分勝手な行動に怒った義政は
- 2:27義敏を追放し 家督を斯波義廉に継がせました
- 2:32つまり斯波氏内部は義敏派と義 廉派に分かれていたのです
- 2:37次に畠山氏の状況についてです
- 2:40この頃畠山氏の当主は畠山持国という人物でした
- 2:44持国には義就という息子がいましたが
- 2:48その子の母親は身分が低かったため
- 2:51この子には家督を継がせることはできないとして
- 2:54持国は弟の持富に家督を譲ると 約束していました
- 3:00しかし持国はある時気が変わって 持富に譲ると約束していた家督を
- 3:05義就に譲ると変更してしまいます
- 3:09持富は文句を言うことなくそのまま 死んでしまったのですが
- 3:13怒ったのは持富の周りにいた人々です
- 3:17身分が低い義就なんかより 持富の息子弥三郎の方がふさわしい
- 3:22そういって弥三郎を当主に推薦するのでした
- 3:26つまり畠山氏内部は
- 3:28義就派と弥三郎派に分かれていたのです
- 3:32こうして畠山氏は両派閥で争いに 発展していきます
- 3:36劣勢に陥った弥三郎派は 幕府の有力者細川勝元に助けを
- 3:41求め 更に山名宗全も弥三郎派に味方
- 3:44するようになります 幕府内部の有力者二人が加勢したこと
- 3:48により 一気に戦況は逆転
- 3:51持国義就派は劣勢に立たされます すると持国義就派は足利義政に
- 3:58接近しました このように争いはいろいろな人を
- 4:01巻き込んで どんどん大きくなっていきました
- 4:03が この争いは最終的に弥三郎派が
- 4:06勝利します 負けた畠山持国は隠居して
- 4:10畠山義就は京都から姿を消しました
- 4:14こうして畠山氏の内紛はひと段落 しますが
- 4:17収まらないのは支持していた派閥 が負けた足利義政です
- 4:23なんと義政は山名宗全討伐の命令 を出します
- 4:27この山名宗全討伐令は 細川勝元の仲裁でなんとか撤回
- 4:32されましたが 結果的に山名宗全は隠居し
- 4:35京都から姿を消します その上義政は畠山義就を京都に
- 4:41呼び戻したので 義就派が勢いを取り戻していく
- 4:44のです その後細川勝元の働きかけによって
- 4:48山名宗全と弥三郎は許されます が
- 4:50弥三郎は死んでしまったため これ以降は代わりにその弟の畠山
- 4:56政長が擁立されるようになりました
- 4:59さて義政の味方になった畠山義 就ですが
- 5:03彼がなかなかの問題児でした というのも義就は将軍の命令である
- 5:09と嘘をついて 好き勝手な振る舞いをするよう
- 5:12になっており 義政としては扱いに困っていた
- 5:15からです こうして義就は義政からの信頼
- 5:18を失っていき 義政から家督を奪われてしまいます
- 5:23家督を奪われたことに納得しない 義就は
- 5:26京都の屋敷を焼き払って河内へ と下り
- 5:29嶽山城に籠って反乱を起こすの です
- 5:32もちろん義政も 嶽山城に籠っている義就討伐を
- 5:36命令しますが 義就は軍事的な才能を発揮して
- 5:402年半に及ぶ籠城戦を繰り広げます 最終的に義就は吉野へと落ち延
- 5:46びますが その強さは強烈でした
- 5:49こうして畠山義就は吉野で復活 の機会を待つことになりますが
- 5:54そんな時京都にある人物が戻って きます
- 5:56斯波義敏です
- 5:58この時の派閥は大きく分けると 2つに分かれています
- 6:03大名たちで政治を行おうという 考えの大名連合派と
- 6:07将軍中心に政治を行おうという 考えの将軍親政派です
- 6:12斯波義敏を京都に呼び戻したのは 将軍親政派の主要人物
- 6:17伊勢貞親でした 当時将軍派の中には管領になれる
- 6:22ような人物がいなかったので 将軍に協力的な管領が欲しい
- 6:27と考えて斯波義敏を呼び戻した のです
- 6:31こうなると話は更に複雑になって きます
- 6:34冒頭でお話しした通り 斯波氏内部は義敏派と義廉派に
- 6:38分かれていましたので 義敏の帰還は義廉にとって脅威
- 6:42です 義敏が将軍派に取り込まれたの
- 6:45で 義廉は大名派と協力関係を結ぶ
- 6:48ことによって この危機を乗り越えようとしました
- 6:52しかし将軍派も負けじと斯波氏 の家督を変更
- 6:55もちろんですが家督を奪われた 義廉が
- 6:58黙っているわけがありません 斯波義廉は不満を募らせて
- 7:02軍勢を京都に集結させていきます
- 7:05そんな時情勢が大きく変わる事件 が起こります
- 7:09文正の政変です 足利義政は日野富子と結婚していた
- 7:14ものの 二人の間にはなかなか男の子が
- 7:17生まれなかったので 弟の義視を次の将軍にすると決
- 7:21めていました しかしその次の年に富子が男の子
- 7:25を出産します この男の子が後の足利義尚です
- 7:30こうして義政の次の将軍は義視 義視の次の将軍は義尚という予定
- 7:37になっていたのですが 義視とその妻である日野良子の間
- 7:41に男の子 後の足利義稙が生まれたことで
- 7:45事情が変わりました 義尚の養育係を務めていた伊勢
- 7:50貞親としては 義視が将軍になったらその次の
- 7:53将軍は義稙になり 義尚に将軍職が戻ってこなくなる
- 7:58のではないか と不安に思うのです
- 8:01要するに伊勢貞親は義視の将軍 就任に反対していました
- 8:06義視が邪魔だったのです なので伊勢貞親は義政に義視に
- 8:11謀反の疑いありと嘘をつき 義視を殺そうとしたのです
- 8:16義政も一度は伊勢貞親のいうことを 信じて
- 8:19義視を殺そうとしたようですが これを察知した義視は山名宗全
- 8:24と細川勝元を頼って義政の誤解 を解き
- 8:28逆に嘘をついた伊勢貞親などの 将軍側近が京都を追われること
- 8:34になりました
- 8:35こうして側近たちを失った義政 の勢力は弱体化しました
- 8:41結果的に将軍親政派が没落して 大名連合派が生き残った形になりました
- 8:46が 次はこの大名連合内で争いが起
- 8:50こります 細川勝元と山名宗全の対立です
- 8:54二人は協力していたものの 畠山氏の後継者問題においては
- 8:58意見があいませんでした 細川勝元は畠山政長を支持して
- 9:03いましたが 山名宗全は畠山義就を支持する
- 9:08ようになったのです 要するに山名宗全は
- 9:11最近強いと評判の畠山義就と手を 組むことによって
- 9:15現在幕府内でもっとも力を持っている 細川勝元を倒そうとしたのでしょう
- 9:21こうして山名宗全と細川勝元は 対立し
- 9:25畠山義就が軍勢を率いて京都に 到着
- 9:29対する細川勝元と畠山政長は焦 ったでしょうが
- 9:33なんとこのタイミングで足利義 政が畠山義就を支持すると表明
- 9:38したのです 今まで様子を伺っていた義政でした
- 9:42が 義政の方針は勝ちそうな方に味方
- 9:45するという方針なので 山名宗全と畠山義就が勝ちそうだ
- 9:50と思ったら このように味方する勢力をすぐに
- 9:53変更します 更に義政は管領職を斯波義廉へ
- 9:57変更 こうなると政長は追い詰められて
- 10:00しまい ついに挙兵します
- 10:02御霊合戦の始まりです
- 10:07応仁の乱の開幕戦とされるこの 合戦は
- 10:10上御霊神社で行われました 戦ったのは畠山義就と畠山政長
- 10:16彼らの背後にはそれぞれ山名宗 全と細川勝元がいましたが
- 10:20義政によって二人の支援は禁止 されていました
- 10:24細川勝元はこの命令を守って支援 しなかったのですが
- 10:28山名宗全は禁止命令を無視して 義就を支援したので
- 10:33畠山政長の軍勢はもちろん敗北 山名宗全と畠山義就はルール違反
- 10:39をして勝利を掴みました ルールを守った方の細川勝元が
- 10:44負けるという理不尽な結果だった 上に
- 10:47周りの人々からは 畠山政長を見捨てた臆病者という
- 10:51烙印を押されてしまったので 細川勝元は面目丸潰れです
- 10:56このままでは終われないと考えて 準備を進め
- 10:59復讐の機会を伺っていきます もはや戦いは畠山義就と畠山政
- 11:05長の戦いではなく 山名宗全と細川勝元の戦いへと
- 11:09移行しつつあったのです
- 11:12ついに細川方は反撃に出ます 反撃の火の手は地方から上がり
- 11:17ました 細川方が地方の山名方を攻撃した
- 11:20のです その後双方の軍勢が続々と京都
- 11:24に集まっていき 細川方が室町御所を押さえたの
- 11:28で東軍 山名方が山名宗全邸を拠点とした
- 11:31ので西軍 と呼ばれるようになっていきます
- 11:35これ以降京都では毎日戦いが行 われていき
- 11:39都は焼き尽くされていきました
- 11:42その後の戦いは細川勝元率いる 東軍が優勢で進んでいきますが
- 11:47優勢であるはずの細川勝元は焦 っていました
- 11:50というのも 西軍の大内政弘が大軍を率いて
- 11:54上洛してきているという噂があった からです
- 11:58東軍としては 大内政弘が京都に到着するまでに
- 12:02決着をつけたい という思いだったのでしょうけれど
- 12:05それは叶いませんでした 大内軍の到着により一気に西軍
- 12:09が勢いを取り戻し 東軍の大将だった足利義視は伊勢
- 12:14へと逃げ出します
- 12:16その後相国寺で戦いが起こったり もしますが戦況は膠着化
- 12:21足利義政は足利義視と伊勢貞親 を京都に呼び戻し
- 12:26戦いを終わらせようと考えました しかしこの伊勢貞親は
- 12:31文正の政変で足利義視を殺そう とした過去を持つ人物です
- 12:362人が仲良くできるわけがありません 結局義視は西軍に逃げ込んで
- 12:41義視を将軍とした西幕府 義政を将軍とした東幕府が成立
- 12:46します
- 12:48力関係が拮抗し なかなか終わらない戦いの中で
- 12:51義政と伊勢貞親は西軍の切り崩し を行います
- 12:56目をつけたのは越前にいる西軍 側の武将
- 12:59朝倉孝景です この朝倉孝景の寝返りによって
- 13:03情勢は変わり始めます 今までは越前国を西軍が押さえて
- 13:08いたので 京都の北側のルートから物資の
- 13:11搬入ができていました しかし越前国を東軍が押さえた
- 13:16ということは 今まで京都へ運び込まれていた
- 13:19西軍側の物資が届かなくなるということ です
- 13:23こうして補給路を押さえられた ことにより西軍の勢いは落ちて
- 13:27いき 赤松政則が南側のルートも押さえ
- 13:30たことにより 南北両方からの物資の搬入ができなく
- 13:33なりました こうして東軍の優位が確定した
- 13:37のです
- 13:38その後山名宗全と細川勝元が死んだ ことや
- 13:42足利義尚の元服により和平の機 運が高まります
- 13:46最終的に山名宗全の息子である 山名政豊と
- 13:51細川勝元の息子である細川政元 の間で和平が結ばれましたが
- 13:57これはあくまでも細川山名の和 睦の成立で
- 14:01東軍西軍の和睦とまではいきませんでした その後も戦いをやめなかった武将
- 14:07も存在し それぞれの地域で戦いが続いて
- 14:09いくのです
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